剣の舞を踊るサーシャの足がおちてゆくそのポジションを
見つめ続けた男は
やがて、
イワノフの手をシッカリと、握り締めた。
***出番を控えている義姉であるターニャの元に
サーシャの事実をつたえにいくことは、つらいことでもある。
だが、
キエフの大物舞踏家が、サーシャを預からせてくれという。
姉妹でありながら、
ターニャはこんな、地方の劇場まがいの
酒場の舞台から、抜け出ることも出来ないにくらべ、
妹の舞踏の技術は
世界を相手にする国立舞踏団の花形スターの目に十分な可能性を
秘めている。
イワノフがターニャに妹サーシャのチャンスをつげるのを、
渋りたくなるもうひとつの要因がある。
ターニャは今、この劇場のソロマドンナである。
が、それは、
ある一定の境界の中においてである。
ある時間までは純粋に舞踏、レビューで、舞台をかざるのであるが、
ある時間を過ぎると、
性的な刺激を内包する出し物に変わる。
簡単に言えば、
乳房をさらして、踊ることもざらであり、
そのサービスの見返りに客席から祝儀をもらう。
もちろん、それだけではない。
多くの場合、この舞台を布石にして、
パトロンを探すということである。
踊りだけで、ソロマドンナの位置に君臨してゆくことは、皆無に等しい。
ターニャは両親をウクライナの列車事故でなくし、
妹と二人きりになったとき、
好きだった踊りで身を立ててゆくことの出来る
この劇場に勤めだした。
それから、3年後に高等学校を卒業したサーシャもここに
つとめだしたのである。
そして、ターニャはかなり、早いうちから
ソロマドンナの地位を得たのであるが、
昨年末くらいから
客の人気にかげりがではじめてきた。
それでも、ソロマドンナの位置にターニャを座らせておいたのも、
イワノフの個人感情のせいである。
「結婚してくれないか」
20歳以上年齢も違う。
ターニャが返事に戸惑うのもわかる。
「いそがなくていい」
と、いってはみたものの、
ターニャがこれ以上ソロマドンナを
張ってゆくことは困難になってきていた。
「どうするかね?アフタータイムにかわるか?」
つまり、舞台で胸をさらけだして踊るかときいている。
ターニャは
「え?」
と、声を上げた。
イワノフに、ターニャの驚きはなぜかわかる。
プロポーズした男が
なぜそんなことをターニャにきりだすのか?
***ぐっと息をのんで、イワノフをみたターニャの顔が思い出される。
プロポーズはプロポーズ。
ビジネスはビジネス。
割り切った考えを理解しろということが、土台むりであろうが、
イワノフの計算もある。
ターニャをおいつめてゆくことで、
イワノフとの生活がいかに安泰なものであるかを
しらせてゆこうと言うのである。
だが、残念なことに
ターニャをおいつめる者が自分であり、
救いの手を差し伸べるのも自分である。
海につきおとしておいて、
たすけてやろうかといっても、
自分で泳げるうちは
ターニャとて、イワノフにすがってきはすまい。
そして、サーシャのことから、ターニャはますます、おいつめられてゆくだろう。
舞踏家という夢を描くのはターニャとて、おなじであろうに、
ターニャのこの先は芸術とは、程遠い
色艶の世界しかない。
そこで、胸をさらけだして踊ることなど、させたくないのが、イワノフである。
だが、
いくら、イワノフがターニャをかばいたくとも、
出来ないことである。
踊り娘は他にもたくさんいる。
これ以上、イワノフのひいきで、ソロ・マドンナに据え置くことが、無理に
なってきているターニャの実力でしかない。
ターニャが踊りをつづけてゆくとしたら、
脱ぐしかないといって、過言でない。
身体を武器に踊りを担うしかないにくらべ、
サーシャは一流の舞踏家になれる素質を有している。
結婚を逃げ場にしてくれというわけではないが、
一人の女性の夢がついえてゆく。
そう思うとイワノフはターニャに平凡な結婚生活を送ってほしいと
考えたのである。
もちろん、二十歳も年齢が違うイワノフであるから、
ターニャの結婚相手に自分を考えることは、なかった。
だが、
ターニャに踊り娘としての限界、
ターニャの才能がそこまでのものでしかないことを
告げたとき、
イワノフは思わぬ告白をしていたのである。
「君がよければ、結婚してくれないか」
思わず口をついた言葉が先で
イワノフは、やっと自分のターニャへの気持ちを確信した。
心のそこのどこかで、
ターニャがサーシャでなかったことを喜びながら、
イワノフは
手短にサーシャをキエフの舞踏家に紹介したいきさつを話した。
ビデオに収めたサーシャの踊りが舞踏家の目に触れると、
幾日も経たないうちに
舞踏家自ら、ここに尋ねてきたのである。
「サーシャが?」
ターニャの顔が複雑にゆがんだ。
妹の才能が本物であることは
姉としてうれしい。
だが、同じ踊り娘として、
歯牙にもかけられない自分をいっそうにしらされる。
「サーシャには、まだ、はなしてないが、
君がサーシャの保護者である以上、
まず、君の同意が必要だと思う」
サーシャをキエフにいかせる。
それは、
サーシャが一流のプリマドンナになれるチャンス。
「サーシャの気持ちしだいです」
答えてから、ターニャはどこかで耳にしたせりふだと思った。
イワノフだ。
「踊りをつづけてゆくか、僕と結婚してくれるか、
君の気持ちしだいだ」
踊りを続けてゆく。イコール、結婚は断るという意味になるだろう。
逆に
結婚するといえば、踊りは続けてゆけない。
ターニャの迷いはそこにあったかもしれない。
踊りは続けたい。
だが、
自分の踊りはもう、踊りだけでは稼げる代物でなくなってきている。
踊りをつづけてゆくということは、
人前で、胸をさらけ出すということだ。
イワノフと一緒になれば、
彼の財力で
たとえば小さな養成所をつくって、
子供たちを指導するということで、舞踏にかかわってゆくことも出来る。
だが、そんなことよりも、
もう、売り物にならない自分のレベルをつきつけられ、
いま、また、
サーシャの才能を見せつけられた。
才能さえあれば・・・。
踊り続けてゆくことが出来るのに・・・。
あと、二月でソロマドンナの地位を手放すしかない。
イワノフの劇場をはなれ、
他の場所にいったとて、結果は同じ。
むしろ、もっと、ひどい境遇がまっているだろう。
踊り娘という名を語る陰売。
あるいは、
踊りを踊れる陰売という言い方が正解かもしれない。
才能がないものは、
どこまでも、おちるしかないのか。
サーシャが逆にそれを証明する。
才能があるものは、
どこまでものぼりつづけてゆける。
ターニャは、出番を控えるため、舞台のすそから
ステップに上がっていった。
心なしか張り詰めた表情が泣き出しそうにも見える。
「返事ははやいほうがいい」
イワノフは伝えると観客席に移っていった。
***舞台をはねて
二人のアパートに帰ってくるまで、
並んで歩きながら
ターニャの足取りが重い。
「姉さん?どうしたの?」
やはり、ソロマドンナ降格が応えているのだろうと、
サーシャは言葉を選ぶ。
「あたしは・・・アフタータイムの踊り手でも、
別にかまわないんじゃないかとおもうんだけどね」
悲しそうにうつむいたターニャにかまわず
サーシャの言葉が続く。
「姉さんはアフタータイムの踊り娘をばかにしてるし、
観客を馬鹿にしてるんだ」
ターニャの言葉が不思議で
サーシャは尋ねかえした。
「どういう意味だろう?」
「姉さんはアフタータイムの踊りが実力で成り立ってない。
踊りを見る目がない観客が女の裸を見に来てる。
そこで踊ればさらしものだとおもってるんだ」
サーシャに・・・何がわかるというんだろう?
ましてや、この子は間違っても
さらし物になることなんかない子だ。
もちろん、まだ・・・・サーシャは
キエフからの招待をしらないけれど。
「あなた・・・。じゃあ、胸をさらして、おどってゆける?」
「できるよ。あたしは、胸をさらすんじゃないもの。
踊りを踊るんだもの。
胸を出すのは衣装を着けてないと思うからおかしいのよ。
おっぱいっていう衣装をつけてるのよ」
確かに演目は胸をさらけて踊るにふさわしい
妖艶な音律をBGMにしている。
「あなた・・・」
本当に踊りがすきなんだと思う。
どんな場末にいてもこの子は
「踊る」んだ。
「今はさあ、ラインダンサーとか、十把一絡げの
端役でしかないけどさ、アフターでソロをはれっていわれたら、
そっちのほうがいいな。
そこから、チャンスをつかむことができるかもしれないもの」
サーシャの考えは若さゆえではあろう。
だが、
チャンス。
その言葉にターニャは話さなければならない
いろんなことを思い返してみた。
たとえば、イワノフのプロポーズ。
サーシャのキエフへの招待。
そして、自分の進退・・・。
これらすべてが
「チャンス」という紐でくくられる。
どうチャンスにしてゆくかで、
この先の運命も
ラッキーかアンラッキーに
分かれてゆく気がする。
サーシャのことは、簡単だろう。サーシャの決心ひとつだ。
自分がこの先どうするか。
ターニャはやっと、サーシャに
イワノフからのプロポーズを
話してみる気になった。
***安いアパートの二階の北の隅は
ただでさえ陽があたらないのに、
二人の留守で火の気の無い部屋は
いっそう、凍えている。
それでも、鍵を差し込む手をかじこませた姉妹が
やっと部屋の中に入るまで外気に晒される廊下の寒さに比べれば
部屋の中は安息地である。
中に入ればまずストーブをつけよう。
夕食には昨日のジャガイモのポトフが残っている。
ストーブの上でポトフが温まる間に
イワノフのプロポーズのことなど、話せるだろう。
ターニャがなにか、考えている様子を
察っしたサーシャはあけられたドアの中に入り込むと
一番先にストーブの火をつけに行った。
後から入ってきたターニャがポトフをストーブの上に置きかけると
サーシャはなにかいいたげな姉の話を催促した。
「食事はあとでいいよ。姉さん、なにか、はなしたいことがあるんでしょ?」
妹はいつもこうだ。
気になることを後回しにすることを嫌う。
「いいのかな?」
ポトフの鍋を見ながらターニャは
サーシャの空腹が気になった。
「いいよ」
やっぱり、後回しになるかと、
ポトフの鍋から目を離し
ターニャはまだ、温まりきらないストーブの前に
椅子をふたつ引っ張ってきた。
足を暖めながらサーシャに話そうと座り込んだ姉の横に
サーシャもすわりこんだが、
並んで話す形が不安定でサーシャは
椅子ごと持ち上げると
ターニャの顔が見えるように
向きを変えて座りなおした。
「で?」
「うん」
いきなり、イワノフのプロポーズのことを口にするのも
てれくさい物がある。
「なに?」
「うん。やっぱり・・・あなたの話からにしよう」
「え?なに?あたしの事もあるわけ?そんなことあとでいいよ」
「うん。でも・・・。姉さんの話に関係あることだから・・・」
先にサーシャがキエフ行きをどうするか、それを判ってからのほうが
いいだろうとターニャは
イワノフから聞かされたサーシャのチャンスを話すことにした。
イワノフがサーシャの舞台稽古をVTRにおさめ、
それを、キエフ在住の舞踏家に送った。
「ああ?あれ?剣の舞だったかな?
3回くらい・・・・おどらされたかなあ」
サーシャにも覚えがある。
「うん。その3回ともイワノフさんが取ってたんだって事も知ってる?」
「え?そりゃしらない。で?」
話の先を急がせるサーシャの目が輝いている。
「うん。ポジションが3回とも、1cmの狂いがないって・・」
「はあ?」
それがどうしたのだという?
サーシャにすればあるいは。当然だと思ったのか?
それよりも、その事実より先が問題だといいたいのかもしれない。
「うん。で、そのVTRをみた舞踏家というのが、「*****/名前・考え中」なんだよ・・」
「え?」
ターニャの口から告げられた大物舞踏家の名前に
サーシャが、そのまま、噴出して笑い始めた。
「やだな。舞踏家だっていうだけなら、あたしだって、
なにか、いい話かなって、おもわないでもないじゃない?
で、その天下の*****さまにVTRを見てもらった・・・」
出てきた名前が大物過ぎて
サーシャのわずかな期待がしぼんでしまった。
大体欠点を指摘するときは
長所を先にほめるのが筋だから、
この後に話される内容にも想像がつく。
それにしても、
「イワノフさんも何を思ってそんな大物のところに・・・」
ポジションが正確だからって、
そんなことくらいで驚かれてたら、
ポリジョイサーカスの綱渡りなんか、
正確なポジションが当たり前。
命がいくつあってもたりやしないだろう?
そんなことを考えたら特に驚くことでもない。
「イワノフさんの目は確かよ。*****はあなたをキエフの
*****育成所に入所させたいと、もうしこんできたのよ」
********育成所への招待?
飛び出してきた話が大きすぎて
サーシャにはこの話が真実であるとは思えない。
「まさか?
それだったら、なんで、******関係の人がじかに
あたしに話しにこないわけ?」
サーシャの疑念はもっともだと思う。
「いくら、イワノフさんが口をきいたからって、
あたしに断りもなし、入所を決定する権利はないわ」
サーシャは関係者が来ないわけを
そんなふうに、想像する。
でも、それは、本当のことだと信じたがってるサーシャだということにもなる。
そして、ターニャは
イワノフがサーシャに先に話さず
ターニャに任せた本当の原因を話すべききっかけなんだと思った。
「イワノフさんはまず、あなたが未成年だということ、
つまり、あたしがあなたの保護者だということを
尊重して、私から、あなたにきいてほしいといったの」
でも、それもおかしな言い訳だと思う。
だいいち、サーシャはイワノフにとって1従業員なんだ。
未成年であるといっても、自分で金をかせぎ、
きちんと生計を立てている以上
社会人。大人。1個人としてあつかわれるべきであろう。
「だったら、姉さんに話すときにあたしもよんでくれればよかったんじゃない?
変だよ?」
やっぱりサーシャは聡い。
淡い期待でも、目いっぱい膨らませれば、はじけたときは辛く痛い。
サーシャの防御本能が
美味い話をうのみにしちゃいけないと
サーシャを守ろうしている。
「あのね・・・」
ターニャは大きく息を吸い込んだ。
その息と一緒にじゃなけりゃ、思いが定まらぬ返事を持ってることでしかない
イワノフのプロポーズのことははなせそうになかった。
「姉さんもそのことをこれから、あなたに相談しようと思ってたんだけど、
イワノフさんが姉さんにあなたへの話を任せたのは、
あなたの進路によって、
姉さんがイワノフさんのプロポーズの返事を
どうするか、きめるだろうって、考えたんだと思うんだ」
とたんにサーシャが戸惑った顔をした。
話の筋が良くわからないのだ。
「イワノフさんが?姉さんにプロポーズをした?」
「そうよ」
「イワノフさんが?」
「そう」
「あの・・イワノフさんが・・・」
「・・・」
「え?で、姉さんは云ってっ言ってないってこと?」
自分の話が後回しになるのもそっちのけで、
イワノフのプロポーズに話が集中しだすのも
イワノフのプロポーズが意外過ぎたのだろうと思っていたターニャは、
「云」と言ってないのかとたずねたサーシャが逆に意外だった。
「あなたには、あたしが「云」と言うほうが、不思議じゃないってことだよね?」
サーシャはもう一度、自分の頭の中を見渡して
「云。そうだね」と、答えた
***